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収録曲
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巴御前 歌詞(平家物語第九巻より)作曲 山室 陽子
源平の合戦の模様です。その時代に自身で考え行動した「巴」という女性がいた、という事に思いを馳せ作曲しました。 - 岡安砧(藤植流 本曲奥組)
- 長恨歌(筝曲山田流 山田検校 作曲)
- 鶴の巣籠り(胡弓 藤植流 本曲奥組)
三曲の調べ 出演者
- 山室 陽子
- 芳賀 暁弘
- 二宮 和子
- 小林 冨美代
- 亀山 香能
- 山本 弘栴
- オニスチェンコ ヴャチェスラヴ
曲目解説
巴御前 山室陽子作曲
源義仲の愛妾(木曽中三権頭中原兼遠の女。今井四郎兼平の妹)巴は色白く、髪長く、容貌がまことに美しい。たぐい稀な強弓をひく精鋭な大将で、騎馬の戦い でも徒歩での戦闘でも、刀を持っては鬼でも、神でも、相手にしようという一人当千の将である。常に義仲に従い武将として夫を助けた。
富山県と石川県との間に在る倶利伽羅峠で、寿永二年(1183)源義仲が「火牛の計」によって、平維盛を破り、寿永三年正月二十日宇治川の合戦で陸続と現 れる東国勢の中を次々と駆け破りながら次第に勢いを失ひ主従五騎になってしまったが巴は討たれなかった。義仲に女であるから「いづちへも行け」と云われ 「最後の戦をして、お見せ申し度い」と云って武蔵の国の大力の御田八郎師重の首をねじ切って捨ててしまった。
その後、鎧、甲を脱ぎ捨て涙ながらに、今、主の最後を見捨て、いづくをさして落ち行くべきやと嘆きなが ら、やがて東をさして行き方しらずになった。
岡安砧 藤植流 本曲奥組
明治26年~29年の間に、山室保嘉が、特に信仰のあった、箏曲の三世 山勢松韻らと研究されて、「岡安砧」が三曲合奏曲に編曲され、山田流、奥手箏曲として親しまれています。
長恨歌 山田検校作曲
白楽天の詩から引用したもので、玄宋皇帝が楊貴妃を寵愛した為、国が乱れ、貴妃は殺された。帝は悲しみ、方土に命じその魂を探させる。常世の国で貴妃に逢えたが、貴妃火は形見としてかんざしを与え、かつて七夕の夜に帝と長生殿で交わした「天に在っては願わくば比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」と云う誓いもはたせなくなったと長い恨みを述べる。
鶴の巣籠 藤植流 本曲奥組
藤植検校時代は、日本建築の座敷の演奏で弦は絹糸です。その哀調を帯びた音色の侭楽器と音を大きく改良せずに演奏いたします。藤植流の本曲、奥組の「鶴の巣籠」は、鶴の鳴き声や、よん本源の3と4の糸は同音でありますが、3の糸だけに指を軽く触れて弾く独特の奏法を口伝でゴロゴロやゴロチンと云う指使いがあります。また、「振り弓」と云う、手首を細かく振るのや、弓を弦から離し音を出さない演奏方法があります。
三曲について
三曲とは、琴・三弦・胡弓 三種の楽器の総称であり、それらの音楽である胡弓楽、地歌、箏曲の総称です。
江戸時代~明治時代、三曲といえば琴・三弦・胡弓 3つの楽器で演奏されていましたが、その後、尺八の普及により、琴・三弦・尺八 という形態に次第に変わっていきました。